火炎と水流
―交流編―


#3 みーんな、いじめっ子!


次の日。6年生の教室へ入ると何だか昨日とは様子が違っていた。
「お早う!」
水流が元気にあいさつしても誰も返事をしてくれない。みんな何人かずつ固まって教室の隅や廊下でひそひそと話をしている。
「えーと、今日は1時間目体育だっけ?」
隣の女子に声を掛けると、彼女は顔を逸らして言った。
「国語」
「そうか。国語ね」
水流がわざとらしく鞄からノートとえんぴつを出す。と、ころんとえんぴつが転がって床に落ちた。それは斜め前で話をしていた男子の上履きに当たって止まった。

「わりい。そのえんぴつ取ってくんない?」
水流が言った。が、彼は聞こえなかったように無視した。それで水流は仕方なく自分でえんぴつを拾うとその子の前に出て言った。
「おい、何だよ? 聞こえてんのに無視する気か?」
「別に……」
その子は言って目を伏せた。
「ふざけんなよ。どうしておいらのこと無視すんのさ?」
すると後ろで女子の声がした。
「やーね。あんなことでカッとするなんてやっぱ野蛮よ」
「ほんと。あの噂ほんとだったんだ」

その言葉にはっとした水流はそちらに近づいて言った。
「おい、噂って何だよ?」
「それは……」
女子が顔を見合わせる。
「それは、昨日、君が村田といっしょにいたってことだよ」
後ろで声が響いた。学級委員だった。
「だからって何でこそこそしなくちゃならねえんだよ?」
と水流が食ってかかる。
「それは、これから校長先生からお話があると思うよ。これから臨時の全校朝礼があるってさ」
別の男子が廊下から顔を出して言った。
「全校朝礼?」
水流は訝しんだ。
(何だよ。あの店長、学校にはないしょにするって言っておいたくせに……)
水流は腹を立てた。
(もし、そうなら許しちゃおかねえ。約束を破るなんてまったくひでえ人間もあったもんだぜ)


半信半疑で朝礼に出た水流は校長の話を聞いてまた憤慨した。まったく話が違っているのだ。校長はいきなり全校生徒に向けてこう言った。
「今日はとても残念なお話があります。皆さんの中に昨日、お店の物を盗んだ悪い子がいます。その子達は盗んだところをお店の人に見られたにも関わらず、やってないとか自分だけが悪いんじゃない、みんなだってやっているのだから悪くないなどと言ったそうです。皆さんはどう思いますか? お店の物を盗るのは悪いことですか? それともよいことですか?」
校長先生の言葉に子供達は皆、口々に叫んだ。
「悪いこと!」
「そう。それは悪いことですね。では、お店に行って欲しい物があったらどうしますか?」
「お金を払って買う」
皆が答える。

「その通りです。でも、昨日、この子達はお店に行ってお金を払わず、消しゴムやシャーペンやお皿を盗もうとしました。この子達はどうしたらよいと思いますか?」
「お店に謝る」
「お金を払う」
などの意見が出た。
「そうですね。この子達は謝らなければいけませんね。でも、ちっとも謝らないと言っているのです。どうしたらいいですか?」
「謝るように言う」
「反省させたらいいと思う」
子供達が言う。そして、背後で聞こえるささやき。
「誰なの?」
「ほら、あの村田さ」
「またあの子?」
「そう。それに転校生」
「え? 転校生? どの子?」
「ほら、村田と同じクラスの……」
皆がその顔を確かめたがった。
「やーだ。やっぱ凶悪そうな顔してる」
それはまるで伝言ゲームのように上級生から下級生までくまなく伝わって行く。

「やいやい、てめえら、いい加減にしろよ!」
水流が怒鳴った。
「黙って聞いてりゃいい加減なことばっか言いやがって……! 大体、皿の金はちゃんと払ってんだぞ。校長! あんたまで間違ったこと言うから余計にややこしくなるじゃねえか」
前に出ようとする水流を先生達が止めた。
「よせ、谷川」
その中に烏場先生もいた。
「そんなこと言ったって黙ってられるかい? あの店長、学校には言わないって約束したくせに何でペラペラしゃべっちまうんだよ」
が、それを聞いた先生方や生徒達はやはりそれは事実だったのだと確信した。

「それじゃ、やはり、本当だったんですね?」
「烏場先生、あなたが店長に口止めしたっていうのは……」
「はあ。しかし、それは……」
「信じられない! あなたのような教師がいるから学校全体が悪く見られるんですよ」
水流を止めに入っていた教師達が一斉に彼を攻撃する。
「やめろよ! 烏場先生には関係ねえだろ?」
水流の言葉を他の教師が否定する。
「関係なくはない。担任なんだからな。それとも烏場先生もこの子達とぐるなんですか?」
「ちょっと、子供達の前ですよ。慎んでください。さあ、あなた方は下がりなさい」
校長先生が台の上から言った。生徒達も蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている。

「いやだ。先生もぐるだったなんて……」
「あんな子と同じクラスだなんて迷惑だよ」
「今年、受験なのにどうしよう」
「そういえば、あいつんちお父さんもお母さんもいないんだって……」
「何か随分変わってるらしいぜ」
あちこちで身勝手な意見や噂がぶつかり合った。

「水流……」
桃香がつぶやく。そんな彼女をつついて男子が言った。
「おい、あれっておまえの兄ちゃんだろ?」
「やだあ。万引きするような兄ちゃんがいる奴とは遊べないぞ」
「おまえも万引きしてんじゃないの?」
子供達がからかう。
「ちがう」
桃香が反論する。が、誰も聞いてなどくれない。
「万引き! 万引き!」
と子供達がはやし立てる。
「ちがうもん。桃香はそんなことしてない! 水流だって……そんなことしてないよ!」
桃香は泣きながら門へ向かって駆け出した。
「あ! おい、待てよ!」
「先生に叱られるぞ」
が、その言葉はもう彼女の耳には聞こえていなかった。


桃香は校門を出るとずっと遠くまで走って行った。何人かがあとを追って来た。が、その足音は途中で聞こえなくなった。桃香は細い路地を幾つも曲がって知らない道に出た。振り返ってみたが、もう追って来る者はない。彼女は大きな木の根元にしゃがみ込んで泣いた。それは桜の木だった。春ならそこには見事な薄桃色の花が咲くのだろう。が、今は緑の葉に覆われた木に過ぎなかった。

「どうしたの?」
突然、桜の木が話し掛けてきた。
「え?」
桃香は立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回した。
「どうして泣いてるんだい?」
やさしい声だった。
「どうしてって、だって、わたし……」
「誰かにいじめられたのか?」
「……」
桃香は黙ってその木を見つめた。本当に桜の木かと思った。が、次の瞬間。その木の影から少年が現れた。

「真菜……!」
少女の姿を見て少年は思わず叫んだ。
「誰?」
桃香が言った。
「真菜?」
少年は呟いた。
「お兄ちゃんだよ。忘れたのか?」
少女はあまりにも真菜に似ていた。
「おまえ、お兄ちゃんに会いに来てくれたんだろ?」
思わず訊いた。
「お兄ちゃんに……?」
「そうだよ。おまえ、天国からお兄ちゃんに会いに来て……」
「ちがうよ。でも……」
桃香はじっと少年の顔を見つめた。
「桃香、自分が何処から来たのか知らないの。もしかしたらお兄ちゃんが言うように天国から来たのかもしれないし、もっと別の所から来たのかもしれない……。でも、桃香は真菜じゃないの。もしかしたら生まれる前にはそうだったかもしれないけど、今はちがう。今は生まれて桃香っていう名前なの」
「そうか……」
少年はがっくりと肩を落とした。

「わかってる。もう真菜はこの世にいないんだって……。けど……」
少年は太い木の幹にもたれて、わざと額を何度もぶつけた。
「いないって? それじゃあ死んだの?」
「ああ……」
彼は静かにうなずいた。
「そう……。それじゃ同じだね。桃香のお父さんとお母さんも死んだの」
「死んだ? それじゃ、今、桃香は誰と住んでるんだ?」
少年が訊いた。
「火炎と、それに水流」
「水流だって?」
彼は驚いた。
「水流ってもしかして転校生の谷川水流?」
「そうよ。わたし達、引っ越してきたばかりなの。お兄ちゃんは? 何て名前?」
「おれは村田……淳」
「淳っていうの。カッコいい名前だね」
桃香が言った。
「そうかな?」
「そうだよ。水流よりずっとカッコいい」
「あ、ああ。当然さ」
淳は言った。

「なあ、おまえ、おれの妹にならないか?」
「妹に?」
「そうさ。水流なんかよりずっとカッコいい兄貴になってやる。おまえのこといじめる奴なんかみんなやっつけてやる。だから……」
「みんな?」
「ああ。おまえ、誰かにいじめられたんだろ?」
桃香がうなずく。
「そんな奴、おれがみんなやっつけてやるよ」
「でも……」

――誰が万引きしたって?
――ほら、また例のあいつだよ
――村田淳

子供達の声がそう言っていた。
「お兄ちゃんが万引きしたって本当?」
桃香が訊いた。
「え?」
「みんなが言ってた。お兄ちゃんとそれに水流がやったって……。それで桃香……」
思い出したら悲しくなったらしく、またしくしくと泣き出した。
「桃香……」
淳はブランドマークの付いたハンカチを桃香に差し出した。アイロンの掛けられた折り目正しいハンカチだ。だが、桃香はそれを受け取らなかった。
「いいよ。桃香、自分のちゃんと持ってるもん」
そう言うと彼女はスカートのポケットから少ししわの付いたハンカチを出して涙を拭いた。それは火炎が買ってくれたキャラクターの絵の付いたハンカチだった。

「桃香もそう思ってるのか?」
「え?」
「おれが万引きしたって……。だから、おれが嫌いなのか?」
桃香は慌てて首を横に振った。
「ちがう。お兄ちゃんはそんなことしない。そうでしょう?」
「ああ……」
「水流だってそうよ。水流、少しおっちょこちょいだけど悪いことなんかしないもん」
淳はうなずいた。
「そうさ。本当に悪いのは大人達なんだ。あいつらのせいで真菜は……」
握り締めた拳が震える。
「お兄ちゃん……?」
そんな淳を覗きこもうとする桃香……。

と、そこへ大きなトラックが入ってきた。
「佐原建設だ。くそっ。あいつら、まだこの辺をうろついていやがるのか……!」
「佐原建設?」
桃香が訊いた。
「そう。悪い大人達さ。桃香、こっちへ」
彼は桃香を連れて大きな桜の木の影に隠れた。と、そこへ車から降りてきた人間が二人、敷地にロープを張ったり、印を付けたりしている。
「何をやってるの?」
桃香が訊いた。
「しっ。連中はここを平らにするつもりなんだ」
「平ら?」
「ここにある木を全部切ってしまうつもりなんだよ」
淳の言葉に桃香は思わず唾を飲んだ。そこはちょっとした公園のようになっていて、大きな木がたくさん生えていた。木陰にはベンチなども敷設されている。お年寄りや小さな子供達を連れたお母さん達の散歩コースにもなっていた。春には桜が美しく咲き、秋には紅葉が、夏には涼しい木陰を作ってくれる貴重な場所であった。それを佐原建設が買収し、平地にするというのだ。

「木をみんな切ってしまうの?」
泣きそうな顔で桃香が訊いた。
「ああ……」
「この木も?」
自分達が隠れている桜を指して言った。
「ああ……。あいつら、許せねえ……!」
淳が言った。
「桜さん、かわいそう……」
桃香がそっと桜の幹をなでた。すると、誰かがそんな桃香の頭をやさしくなでる。
「誰?」
見上げてみたがそこには誰もいない。淳でもない。ただ薄桃色の桜の花びらがひらりと一厘その手に落ちた。
「桜さん……?」
梢がさわさわと鳴った。
「まずはあの桜の木だな。あいつさえ切っちまえばあとは楽勝よ」
作業員の男が指差した。桃香が怯えたように桜を見上げる。と、その時。

――許せぬ

何処からから声が聞こえた。二人の子供は互いに顔を見合わせ、頭上を見上げた。高く伸びた枝に付いた葉が風に揺れている。と、その時、大きな重機を乗せたダンプとチェーンソーを持った人間が近づいてきた。

――この木を切らせはしない

声が響いた。今度はすぐ近くからだ。見るとそこにたった今その木から抜け出て来たような美しい人がいた。その人は艶やかな着物を纏い、さらりとした髪が腰の下まで伸びて風に間っている。淳も桃香もあっと口を開けたきり動けなくなった。次の瞬間。ざざっと木の葉が音を立て、枝が大きくたわんだ。そして、作業員を吹き飛ばし、トラックのタイヤに絡みつくと、ぶすぶすと枝の先で穴を空けた。妖しい風が吹いている……。
「あなたは桜の精……?」
淳が訊いた。が、女は答える代わりに淡い桜の雪を散らした。


「桃香がいなくなっただって?」
学校に呼ばれた火炎が言った。職員室には烏場と水流がいて、あと何人かの職員も電話の応対をしたり、何か他の職員と連絡を取り合ったりしていて忙しない。
「水流! 何のためにおまえが付いていたんだ?」
火炎が怒鳴る。
「そんなこと言ったっておいら……」
「もしも、桃香に何かあったら……」
火炎はおろおろと言った。
「大丈夫だよ。きっとそこらで遊んでんだよ。すぐに見つかるって……」
のほほんとしている水流の頬を火炎が叩いた。

「てっ! 何すんだよ?」
「馬鹿野郎! 桃香はおまえとは違う! おまえなんかと違ってデリケートに出来ているんだ。桃香は繊細で傷付きやすいんだ。あの子は……」
一瞬だけ目を伏せて窓の外を見つめると火炎は静かに言った。
「人間なんだからな……!」
言葉に詰まって水流も窓の外を見た。そこでは大勢の子供達が庭に出て遊んでいる。今は丁度休み時間だった。
「そんなこと言われなくたってわかってらい!」
水流がばんっと手のひらで窓を叩く。
「わかってない!」
火炎が怒鳴る。

「まあまあ二人共、落ち着いて……」
烏場が割って入る。
「それに、今回のことは谷川だけの責任ではない。学校側の落ち度でもあるんだ」
「でも……」
火炎の怒りは収まらない様子だ。
「今、みんなで手分けして探しているところだから……」
「なら、おれも探しに行きます」
火炎が言った。
「待てよ! おいらも行く!」
水流が言った。
「足手まといだ。来なくていい!」
火炎の言葉に一瞬だけ足が止まる。

「おいらだって桃ちゃんのこと心配してんだぞ!」
泣きそうな顔で訴える。が、火炎は無視した。水流はこぼれた涙を手の甲で拭うと消え入りそうな声で言った。
「それに……今回のことじゃおいらだって傷ついてるんだ……おいらだって……」
「谷川……」
烏場がそっとその肩に手を乗せる。が、水流はそれを振り払うように駆け出した。
「待てよ! おいらも行く!」
そうして水流もあとを追った。
「すみません。私も周辺を見て来ます」
教頭に断って出て行こうとする烏場に別の職員が皮肉を言った。
「授業放棄ですか?」
「授業より大事なことだってあります」
彼はその同僚をきっと睨むと職員室を出た。

そして、烏場は屋上に向かうと風を呼んだ。
「よし」
一陣の風に乗り、彼は変化すると、黒い翼を広げて飛んだ。彼の本性は漆黒の翼。風を操る鳥であった。入り組んだ道を行くより、空から探した方が早い。そう判断したのだ。が、その能力を駆使してもすぐに桃香を見つけることはできなかった。通りすがりの烏や風の道しるべに尋ねても皆、一様に知らないと言う。が、何度目かに少し範囲を広げて飛ぶと異常な気配を感じた。それは彼と同じく能力を持つ者の気配だ。つまり人間でない者の気だ。
「これほど高い妖気を持つ者といえば……」
真っ先に浮かんだのは火炎だった。が、それは違う。彼はそこからは反対方向の通りにいた。
「ならば、これは……」
烏場は高い桜の木の枝に止まった。

そこは緑の木に覆われた小さな公園だ。そこにダンプや重機、それに人間の作業員が転がっていた。そこには確かに妖怪の気配が色濃く残っていた。が、他に人間の子供の姿は見えず、その本体と思われる溶解も姿を消したあとだった。横倒しになったトラックには佐原建設と書かれていた。烏場はひらりと木から飛び下りると人間の姿になった。と、そこへ火炎達が駆けつけて来た。

「これは……」
その惨状を見て火炎が言った。
「どうやらここで何かがあったらしいな」
烏場が周囲を見回して言う。
「あ! このハンカチ桃ちゃんのだ」
桜の木の根元に落ちていたそれを拾って水流が叫んだ。
「何?」
火炎がそれを取り上げる。
「間違いない。おれが買ってやったものだ……」
火炎が呆然として呟く。
「またしても砂地か……!」
ハンカチを握り締め、拳を震わせている火炎に烏場が告げる。
「いや、今回はそうじゃないかもしれない……」
「それは……?」
二人が烏場を見つめる。
「彼は足元に落ちていた桜の花びらを摘むとすっと風に飛ばした。
「桜……。まさか……」
火炎が言い、烏場が頷く。
「どういうことだよ?」
水流だけがわからずに二人を見上げる。
「花芽……」
火炎が呟く。それは懐かしくもあり、妖艶で恐ろしい響きでもあった………。